【 坂本東嶽邸 

Sakamoto Togaku Residence 

 

仙北市美郷町千畑を訪れると、「坂本東嶽邸」を指し示す看板が見えてきます。筆者は5年ほど前、初めて看板を目にしたとき、この坂本さんは何者なのか(失礼!)と気になって邸宅を訪れました。今では新緑と紅葉の季節年に最低2回は行くほど、邸宅の美しさに魅了されています。

 

春夏秋冬、四季折々の風景が楽しめる坂本東嶽邸。(冬期間は休館中のため、建物の外部から撮影)


 

坂本東嶽(本名:理一郎)は、1861年4月16日生まれ。筆者の誕生日でもあり、このNorthern Blue撮影日も同日。運命を感じずにはいられません。

 

撮影に使わせていただいた茶室は通常内部非公開。

 


 

東嶽は1874年、慶應義塾に学び、後の内閣総理大臣となる犬養毅と出会います。文庫蔵には多くの書画や書簡が展示されており、これらは交友関係がうかがい知れる貴重な資料です。東嶽は県議を経て、衆議院議員となりますが、一方で故郷千屋村(現美郷町)の農村指導に心血を注いでいきます。秋田県で最初に耕地整理を行い、乾田馬耕といって排水を良くして湿田を乾田に変え、耕起に馬力を導入した改良農法をいち早く取り入れました。

  

東嶽愛用の品や坂本家に伝わる調度品、盟友犬養毅や大隈重信との手紙などが展示されています。


母屋の入口。筆者はアーチやカーブが好きなので唐破風も好物です。


窓を開け放つと目映い紅葉が。


海鼠釉の焼物も並んでいました。


茶室側から見た母屋。


離れ座敷は二階建て。


連絡路が擬洋風で高級感溢れます。


日が傾く時間の座敷。光が美しく射し込みます。


 

坂本家から美郷町に寄贈された東嶽邸は1896年の陸羽地震後に建てられたもの。庭園は京都の庭師が築堤した姿でほぼ現在に至っています。一部解体されたため当時ほどの規模はありませんが大地主だった坂本家の暮らしぶりが分かります。

 

東嶽は、未開の地に公園や学校など公共施設を配し、松や杉を植栽して並木道を整備。現在も一丈木公園、松杉並木が残っています。理想の村作りに生涯をかけた東嶽。自分は、秋田の為に何ができるのか?彼が思い描いた夢に少しでも近づけたらその答えもきっと出てくるのかもしれません。

 

 

参考資料:美郷町ホームページ、秋田魁新報「秋田大百科事典」

 

(Photographer & Writer けゐ-Kei-)